元高校教論で横浜市教育委員を経て、政界へ進出した義家弘介(よしいえひろゆき)。党の裏金関与が影響を呼び、衆議院選挙落選、そして2025年3月末に政界を引退することを発表しました。義家氏は「ヤンキー先生」という異名を持ち、第1次安倍内閣が設置した教育再生会議の担当室長を務め、2007年には参院選比例で自民から出馬し初当選。
なぜ「ヤンキー先生」と呼ばれるようになったのでしょうか?そこには義家氏の過去の苦悩と波乱、そして教育者としての情熱がありました。
今朝は伊勢原駅で総選挙の御礼と、ご期待に添えなかったお詫びのご挨拶をさせて頂きました。私の力不足により引き続き地元に尽くすことがてきなくなってしまった事…本当に申し訳ない気持ちが溢れていますが、そんな私に相変わらず温かな激励をくざさった皆様…感謝に堪えません。有難うございました。 pic.twitter.com/Lpp68oI2HG
— 義家弘介(よしいえひろゆき) (@yoshiiehiroyuki) October 31, 2024


- ヤンキー先生の生い立ち
- ヤンキー先生の由来
- ヤンキー先生は何をした人?
- 政界引退による世論
義家弘介氏の生い立ち
義家氏は生まれてすぐに両親の離婚を経験しました。そしてすぐに再婚しましたが、物心ついた時から孤独を感じ、「反抗」という形で自分を表現することが主となりました。
中学に上がり、髪を染め、不良ファッションや酒タバコなど、夜はバイクを乗り回すことや、誰にでも喧嘩を売るような日々を送っていました。
そんな中、高校へ進学し不良行為をしていながらも、学校一の人気者の彼女ができました。しかし、教師がその彼女に言った一言で、義家氏の人生が変わることになりました
「お前はなぜ、義家みたいな不良と付き合うんだ?あんなやつと付き合っていたら、お前の進路はめちゃくちゃになるぞ」
これを聞いた義家氏は感情を抑えられず、教師の頭にライターで火をつけたのでした。このことがきっかけで、学校から進路変更処分を言い渡され、親も義家氏が16歳の頃に児童相談所に預けることにしました。
そして自殺未遂を機に、この生活から抜け出したいと思い、問題を起こし学校に行けなくなった子供達を受け入れる、私立北星余市高等学校へ編入。
そこで出会った教師が、義家氏の人生を変えるきっかけとなるのでした。当時、義家氏の担任であった安達俊子先生。安達先生は真っ向から、義家氏と向き合い、細かい行動も見逃さず、問題を起こしたら真剣に叱り、いい事をしたら思い切り褒めました。
「海にエスケープしてたら車で来るわけですよ。『義家君!!乗りなさいっ!』ってね。
普通、教師としてエスケープしてる人間を浜に向かえに来たら職員室に連れてきて指導部とかで怒るでしょ?先生は真っ直ぐ教室にブチ込むんですよ。それって今までの学校像とは全く違った、教師像かなぁ。『俺たちなんかにそんなにかまうなよって』言ったらね、満面の笑みで『宝物だから』っていうわけですよ。『なんじゃコイツは!!』と思いましたよ。ちょっとビックリしましたよね。仕事だからとかね、そんなんじゃ全然ない。宝物だからって言われたって、返す言葉ないでしょ。『何でこんなガラクタが宝物って。なんなんだろうこの人は』って初めはすごく思ったけど、でも、暖かいなって感じましたけどね」
引用元:SmaSTATION
というように、安達先生は真摯に向き合いました。
こうして、義家氏は安達先生をきっかけに世の中から傷つけられ助けを求めている人達に寄り添いながら生きていこうと決心しました。


ヤンキー先生の由来
義家氏は明治学院大学を卒業し、北海道の大手進学塾に就職し、講師として教育の現場に立ちました。そしてその”ヤンキー”は、母校に帰り、”教師”として数々の問題を抱えた生徒と真っ向と向き合い、全力でぶつかりました。
集団飲酒、タバコ、シンナー、いじめ、引きこもり、暴力など向き合っている中で、問題を起こした生徒には徹底して”やき”を入れていました。特にイジメに関しては絶対に許さないという姿勢であり、”自分より弱い者をいじめるやつには夢は掴めない”、そしてヤンキー先生による終わらないホームルームをし、いじめを解決していきました。
このように、ヤンキーから”ヤンキー先生”になったのでした。
ヤンキー先生が取り組んだこと
2006年10月内閣官房教育再生会議担当室室長に任命され、そして安倍内閣の要請を受け、自由民主党から出馬し、後に文科省副大臣、法務副大臣を努めたヤンキー先生。取り組んだ事としては
- 体罰禁止の訴え
- 有害図書・ポルノ規制
- 八重山教科書問題
- 森友学園問題
- 朝鮮学校補助金の批判
- 学校設置認定の厳格化
- ハンディキャップ生徒の教育方法
など、ヤンキー先生は様々な政策をし、問題点を徹底して詰めてきました。
ヤンキー先生政界引退へ
【自民・義家弘介氏 政界を引退へ】https://t.co/wsYid6F2Z5
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) January 6, 2025
ヤンキー先生は2022年までの5年間で369万円の政治資金収支報告書の不記載があり、裏金問題に関わっているとされ、衆議院神奈川16区で立憲民主党の後藤祐一国対委員長代理に敗れて落選をしました。そして裏金問題により、2024年衆議院で比例代表とも重複立候補が認められませんでした。
ヤンキー先生について世間の反応は・・・
某学習塾の先生としていらっしゃった時代に、 講義を受けていました。当時私は中学生でしたが、気さくな先生だった記憶があります。どんどん有名になられて、政界へ進出したときはとても驚きました。 人は変わるんですね… 何が先制を変えてしまったのかなと、少し寂しい気持ちになります。 しかし当選できなかったことは民意なので、これからはまた別の道で頑張っていただきたいです。
引用元:Yahoo Japan ニュース
1年生議員だった頃に、偶然に一度、生で見たことがあるが、ヤンキー丸出しな歩き方、振る舞いで笑ったのを覚えている。 彼は国会議員ではなく、もっと狭い範囲のコミュニティのボスなり何なりやるのが、最も能力を発揮できるように思う。 令和の時代に珍走団が出没するような、地方都市の首長とかをやるというなら、ぜひ応援したい。
引用元:Yahoo Japan ニュース
本当に教育に対する志がおありなら、 もう一度、現場に戻られるという道もある。 (教員不足も昨今の深刻な課題) 子ども達に、政界での経験を還元することを 考えられてもいいのでは。 ただし、 裏金問題についての筋の通った説明と、 人の意見を聞きチームで動く働き方ができることが必須ではある。
引用元:Yahoo Japan ニュース
このように、厳しい意見が多い中、励ましや応援もあります。
今後の活躍に期待したいところです。

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